おつかれさまです。名古屋の探偵@高田幸枝でございます。

本日二件目のブログです。

つらいだけの顔だけでなく
笑っている顔でも

どんな姿の母でも涙が溢れ出します。

姉妹と会う時には、唯一母の話ができます。
心置きなく・・・・。
ママってこーだったよね。
姉から見る母、妹から見る母、微妙に違うところが唯一の新鮮な話であとは共通する話。

涙を拭き取る最後は、姉妹も同じ悲しみを抱えているんだから私も我慢しなくては・・・・って言い聞かせてます。

うちの場合、闘病生活が長かったので日ごと体力がなくなる母にも麻痺していた頃、母の姉が遊びにきて帰り道に駅まで走る伯母を見て衝撃が走りました。

健常者の母の同世代は、あんなに元気に走れるんだ・・・・・

ショックでしたがすぐに目を背けました。

たまに思うことは、三人姉妹の中で私が一番母に心配をかけました。
学生時代もおてんば娘で先生からお呼び出し、社会人になった当初も不安定な時期もあったりと。

私のせいで病気になったんじゃないかと責めることもあります。
結構そう責任もかんじてたり。
姉と妹は自慢の子、次女は・・・・だけどわたしの事が大好きでね困っちゃう

でも次女の私が右腕だったから痛みに耐える母を看護師がさすったあとも、駆けつけ私がさすると「ゆーちゃん、さすがよくわかるわ」と眠りにつく。
薬で手が震える手を押さえ妹との会話で母が妹の心配する姿をみてやりきれなかった。
姉が母に話しかけて母が心おきなく話しかけている姿。
気がもうろうとした姉は、病院をあとにして追突事故。
なにがなんだかわからなかった最後でした。

最後の入院生活は三ヶ月。
その三ヶ月前に毎週日曜日に行っていた恒例の朝の喫茶店。ウエートレスさんが、「最近、奥さんいませんね」と言った途端、わたしたちは一瞬固まりました。
わたしはそれから喫茶店に行くことはありませんでした。

看護師にかけあっても無口になり、先生に検査の結果を聞いても濁していたので結果を聞きにいきたいとせがむと意を決してくれました。
覚悟してました。。。。。
母の肝臓は癌で虫歯われ豆大福のような映像でした。

その時は誰にも言えなかった・・・・・

そして今でも豆大福はみたくもないし食べる気もしません。

息をひきとるとき、母の最後の言葉は、「おかあちゃん」でした。
一生懸命母の足をさする私の祖母が大声でさけんだ言葉に反応しました。

気づいたら私たち姉妹は病院の屋上にいました。

そして通夜、葬儀、正直なにが起きていたか記憶がありません。
ただ、最後の母が火葬場から骨となってお骨になり、お骨を抱いた瞬間、寝てしまいました。

母が息をひきとったあの安らかな顔をみたとき、言葉では言わなかったけど家族一致の意見は、

ママがこれで開放された本当の顔

でした。悲しいと言える前に「ママ、良かったね。これで開放される・・・・」と思わずこぼれんばかりでした。

絶対に感情をみせない姉が唯一、感情を出したのは葬儀の時でした。
声を荒立てて泣いた。
13歳年下の妹は隅で泣く。

黒い服がいつしか無意識に遠ざけていた姉妹はよれよれの喪服、妹は制服、父はわかっていたかのように母が用意していたスーツを着ていました。

人生って経験してなんぼと言いますが、経験しているから今の仕事への向き方も断然違うとおもいますが…

こんな経験はしたくなかったかな・・・・・

きつすぎる。笑

けど、だから今がある。

なにを母が言いたいのか、今はもう聞けない・・・・・

笑ってはなせるときがくるんだろーか。笑

マザコンの高田幸枝でした。

The following two tabs change content below.
avatar_user_1_1484889449-80x80 高田探偵の「弱気になるとすがる」

名古屋駅の解決探偵

高田幸枝 takada yukie (1972年生 名古屋市出身) 株式会社LASコーポレーションの代表取締役 21歳の時より現在に至り探偵一筋 ただ探偵として調査を提供するだけでなく、浮気調査や離婚問題、家出・人探しでは、調査のみで終わることはなく解決までサポートにこだわる探偵として活動、解決に向けて取り組み多数の実績から全国からの高田の指名でお客様が相談に駆けつけてきます。 探偵ブログに関しては、探偵として人として女性として日々の思いを書いている。 企業理念「心笑の実現」 お客様、スタッフ、スタッフの家族、当探偵社に関わるすべての人たちの心が笑う実現に向けて活動します。